四国遍路の歩き方

四国遍路~1,200㎞を歩く
(2013年5月14日~6月23日)
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 1,200㎞っていう距離はどんな距離なんだろう?自分の足で歩いて、その長さを感じてみたい。その程度の遊び半分の気持ちで、歩き遍路を始めました。しかし、大変厳しい旅でした。遊び気分ではできません。歩き始めて数日後、自然に極めて真摯な気持ちになりました。自分と対話する旅です。歩きながら、様々な方に出会い、多くを考えました。私のようなスタンスで行かれようと思う方のために、このページは書きました。詳しくは(写真など)、ブログにリンクを張りました。そちらをご覧ください。
(0)準備

結願祝にイラストレーター閑有さんが描いてくれました。
 遍路を終え、何人かの方にお会いし、「遍路をしてみたい」という人も多く嬉しく思いました。
 41日間歩き続け分かったこと、感じたことをもとに、まず準備物等について書きます。
 誰しも、一番気になっていることは費用と思います。歩き遍路は贅沢な旅と言われます。時間がかかるだけに宿泊費が嵩むからです。多くの遍路は、1日1万円と言われます。宿泊費(一泊二食付き)が6,500円。洗濯代300円。昼食代、飲み物代(自動販売機の飲料水)1,200円。納経料等雑費1,000円。……これで9,000円。
 だから、私は宿は基本、素泊まり(4500円)としました。それでも一日平均7,500円はかかります。結局、30万円以上はかかったと思います。コンビニで時々お金を引き出して歩き続けました。野宿をすればうんと安くなりますが、私は一回だけで止めました。次の日の行動が厳しいのです。若く元気な人以外は、現実的ではありません。ひとまず歩き通すことを目標にするなら、民宿の素泊まりを基本にすることが不可欠と思います。長い長い旅です。そうすることによって、持ち物も減り、うんと軽くなり、歩き通すことが可能になります。
 なお、私は一度、歩きを止めバスを使ってしまいました。21日目、6月3日のことです。その点はご容赦ください。その時の「心の状態」を日記から。

歩き遍路21日目。
 昨日まで「歩くこと」に徹してきました。歩き遍路なのですから。しかし、昨夜、足摺岬の荒々しいドドドドドーンという激しい岸壁に当たる波の音の繰り返しを聞きながら、「もうこの辺で止めようか」という気持ちが出てきました。言葉は悪いかもしれませんが、毎日9時間ほど歩き続け、食って寝る。「飽きてきた」のです。眠れない日が続きます。疲れているのですが、眠れないのです。その日の仲間は3名いましたが、次の札所に行くには、打ち戻る方が早いということで、今朝は反対方向(新鮮な西海岸から国道321号線へ)に私一人で進んで行きました。三日続きの雨は「お金をかけ、何でこんなことをやっているんだ」という言葉を私の頭一杯に満たしました。5キロほど歩いた「松尾小前」というバス停で、「もう止~めよう」と偶然きたバスに乗ってしまいました。バスは途中から、昨日、一昨日と雨の中を歩いた道を進みます。よく歩いたもんだ!!バスでも一時間以上かかります。時々、歩き遍路を見ました。結局、3人見ました。思わず、顔を背けてしまいました。
 高知県最後の札所39番延光寺に着きました。お大師さん、皆さん、すみません。・・・・・・しかし、延光寺から宿毛まで約7キロ歩いているうちに、空も明るくなり、理由もなく、もう一度だけチャンスを!という気持ちになりました。あと2,3日で止めちゃうムードですが、もう一度、歩こうと思っています。

 人間は、普通、弱い動物です。

おまけ:準備物を具体的に
。最も大切なものと思います。私が履いていた靴は、他の遍路がびっくりするほどの軽い柔らかいナイキのランニングシューズ。ネパールに行った時、アプローチシューズに使ったものでした。靴流通センターで3,000円で買った靴。ともかく軽い!!そして、底がしっかりしている割に柔らかい。足が浮腫み歩き続けるため、足の浮腫は元に戻りません。そのため大きめのサイズがいいです。この一足で41日間もちました。まだ履けそうです。そして、靴下は五本指のもの。私は41日間歩いても、小さなマメはできましたが、潰れて絆創膏ということは全くなりませんでした。ほとんどの遍路者はマメに悩んでいました。高知に入る頃から、自分たちの軽登山靴を止め、私の靴に似たシューズを買った遍路が二人おられました(笑)。実際その後、調子よかったと言っていました。
・パーゴワークス パスファインダーM。胸にぶら下げているチェストバッグ。遍路に必要な地図や線香、納札、経本、財布等を入れていました。「M」を買い持って行きましたが、小さすぎました。「L」がいいと思います。大きなウエストバックでもいいですが、長い距離を歩くとき、重心が高いほうがいいように思います。
・ザック。はじめテント等も持って行こうと思い、40Lザックで行きました。大失敗宿に泊まると決めていれば20Lぐらいの小さなザックで十分です。私のザックの下の方には一度しか使わなかった寝袋とマットが入っていました。何度も送り返そうと思いましたが、ザックが大きいので、中身がなくなると担ぎにくく、無理して持ち通しました。大きな失敗でした。
・その日のうちに洗濯するので、服は着替えを含め2セットでいいと思います。季節によりますが。私は、2度、ゆうパックで服等を家に送り返しました。歩き続けている時、考えることの半分は「荷物が重い!!何を減らそうか。あのパンツはいらないなぁ」ということでした。

雨対策。雨の日も多いので、雨対策は大切。雨の日は気分はよくありませんが、涼しいし、休もうという気にならないため距離は稼げます。一日30キロ以上歩くことも容易です。ただし、その日の洗濯が気が重くなりますが。ザックカバー雨具の上下は必須です。しかし、ポンチョがいいという人もいました。私は基本的に上のカッパは着ませんでした。洗濯が面倒だし、暑いからです。しかし、白峯寺~根香寺付近の大雨で低体温症になりかけ慌てて上を着たことがありました。「あったかーい」。すぐ出せるようにしておけばいいのです。

 その他、金剛杖(山登りの下りに便利)、菅笠(直射日光が強い日、雨の日にとても便利)は遍路用品だがとても役に立ちました。白衣も自分自身の気持ちの引き締めに必携です。
 最後に、私はスマホのタブレットをはじめ持って歩きました。途中で、重いので家に送り返しました。しかし、何度も宿の情報や最新の天気情報等、スマホがあったらなぁと思ったのも事実です。軽いスマホがあると、超便利と思います
(1)行程
 私の実際の行程の概略を。
 距離は地図を見ながら調べました。しかし、トータル1041㎞でした?場所によって数㎞違っているかもしれません。
1日目(5/14晴)霊山寺、極楽寺、金泉寺、大日寺、地蔵寺、安楽寺、十楽寺。14㎞。宿坊。
 
この日のブログから「十楽寺にて
2日目(5/15晴)熊谷寺、法輪寺、切幡寺、藤井寺。17㎞。旅館吉野。
 
この日のブログから「藤井寺にて
3日目(5/16晴)焼山寺。13㎞。なべいわ荘
 
この日のブログから「超人mさん
4日目(5/17晴)大日寺、常楽寺、国分寺、観音寺、井戸寺。29㎞。松本屋◎。
 
この日のブログから「井戸寺にて
5日目(5/18晴)恩山寺、立江寺。31㎞。金子や。
 
この日のブログから「疲れています
6日目(5/19雨)鶴林寺、太龍寺。道間違、20㎞。坂口屋◎。
 
この日のブログから「道を間違えた!
7日目(5/20晴)平等寺。22㎞。うみがめ荘○。
 
この日のブログから「アカテガニ横断に注意!
8日目(5/21晴)薬王寺。39㎞。ぬしま。
 
この日のブログから「暫く投稿できません
9日目(5/22晴)26㎞。ロッジおざき◎。
10日目(5/23晴)最御崎寺。25㎞。室戸荘○。
11日目(5/24晴)津照寺、金剛頂寺。37㎞。野宿(唐浜)。
12日目(5/25晴)神峯寺。38㎞。住吉屋。
13日目(5/26晴)大日寺、国分寺、善楽寺。34㎞。スーパーホテル高知。
 
この日のブログから「遍路20130526
14日目(5/27曇)竹林寺、禅師峰寺、雪蹊寺、種間寺。37㎞。ビジネス土佐。
15日目(5/28雨)清瀧寺、青龍寺。19㎞。国民宿舎土佐◎。
 
この日のブログから「雨の中を
16日目(5/29雨のち晴)35㎞。福屋旅館。
17日目(5/30晴のち雨)岩本寺。20㎞。宿坊○。
18日目(5/31曇)33㎞。土佐ユートピアカントリークラブ◎。
19日目(6/1曇のち雨)26㎞。安宿(あんしゅく)◎。
20日目(6/2雨、風)28㎞。民宿足摺はっと○。
21日目(6/3雨のち曇)延光寺。12㎞+(40㎞バス)。ホテルアバン宿毛◎。
 
この日のブログから「「歩き通す」を切ってしまいました!
22日目(6/4晴)観自在寺。29㎞。旭屋○。
23日目(6/5曇)30㎞。宇和島オリエンタルホテル。
24日目(6/6曇)龍光寺、仏木寺、明石寺。26㎞。まつちや旅館○。
25日目(6/7晴)32㎞。民宿シャロン○。
 
この日のブログから「たとえば、昨日の動き
26日目(6/8曇)大宝寺。37㎞。でんこ○。
27日目(6/9雨)岩屋寺。25㎞。桃季庵◎。
28日目(6/10晴)浄瑠璃寺、八坂寺、西林寺、浄土寺、繁多寺、石出寺。32㎞。ステーションホテル松山。
29日目(6/11晴)太山寺、円明寺。44㎞。ビジネスホテル来島×。
30日目(6/12晴)延命寺、南光坊、泰山寺、栄福寺、仙遊寺、国分寺。39㎞。小町温泉しこくや○。
31日目(6/13晴)横峰寺。香園寺。宝寿寺。21㎞。ビジネス旅館KOMATSU
32日目(6/14晴)吉祥寺、前神寺。28㎞。α1新居浜○。
 
この日のブログから「新居浜にて
33日目(6/15雨)24㎞。ろんどん荘。
34日目(6/16雨のち晴)三角寺。18㎞。民宿岡田◎。
35日目(6/17晴)雲辺寺、大興寺、神恵院、観音寺。25㎞。ビジネスホテル観音寺。
36日目(6/18晴)本山寺、弥谷寺、曼荼羅寺、出釈迦寺、甲山寺、善通寺、金倉寺、道隆寺。35㎞。α1丸亀。
37日目(6/19雨)郷照寺、天皇寺、国分寺、白峯寺。29㎞。かんぽの宿坂出。
38日目(6/20雨)根香寺、一宮寺。27㎞。高松シティホテル。
39日目(6/21曇のち雨)屋島寺。13㎞。高柳旅館。
40日目(6/22晴)八栗寺、志度寺、長尾寺。17㎞。ながお路◎。
41日目(6/23曇のち雨)大窪寺。13㎞。ホテルサンルート徳島。
 
翌日のブログから「結願しました
 
 よく歩きました。21日目の事件がなかったら出来過ぎです!実際は42日間。
 ……○はよかった宿。◎の宿はとても親切で元気が出た宿です。

(2)遍路道

四国の遍路道ってどんな道?
撮った写真の中から、道の写真を選びスライドショーにしました。
それぞれの道に、思い出がいっぱいあります。
のんびり見ながら、歩き遍路を想像してください。


 様々な遍路道が頭に浮かびます。遍路道とは四国霊場間を繋ぐ歩き遍路が歩く道。歩き遍路が使わない道は遍路道とは呼ばないようです。残念ながら、その多くは車道や歩道であり、私の好きな山道は少なかったです。

 遍路道には、NGOの「へんろみち保存協力会」等によって、歩き遍路のために遍路道標識・遍路道シールなどの誘導表示が設置されています(上の写真)。この表示に従っていれば道に間違えることはあまりありません。1200㎞全てをカバーしています。しかし、私は数え切れないほど道を間違えました。下を向いて歩いたりよそ見をして歩いたりしていて、「一瞬」見逃すのです。5,6分して「あれっ!?シールがないなぁ」と思った頃は既に間違えています。そこで、自分の直感で進みます。泥沼に入る。自分がどこにいるか分からなくなります。その頃になって、初めて地図を見ます。「四国遍路ひとり歩き同行二人・地図編」。これは、順路だけでなく、宿や途中の店などの詳細な情報が得られるので、歩き遍路の必需品です。暑くて頭の中がボーッとなっている時、雨で地図を出したくない時など地図を見ないため、さらに悲惨なことになります。なお、「四国の道」という表示も多く、それに惑わされました。

 峠越えの遍路道は昔からの山道が多く残っており、私はとても好きでした。昔から多くの遍路や生活者がこの道を歩いていたんだなぁと時間を超えて楽しめました。その分、広い車道は何も考えない試練の場となります。


※写真等は、http://blog.livedoor.jp/tssune3/archives/52029610.html
※思い出の写真http://blog.livedoor.jp/tssune3/archives/52029681.html

(3)海の遍路道

 5月29日のことでした。
 風雨の宇佐大橋を渡り、旧遍路道コース(井尻峠経由)の急登を登り、青龍寺へ。
 そこから当初から予定していた国民宿舎土佐へ。ここの支配人、池上さんは遍路に大変詳しく親切な方。
 池上さんから次のような話を頂きました。
「このあたりの本来の遍路道は海の上だった。陸路がなく、空海も船で浦ノ内湾を移動しました。だから、海のルートを使うのは歩き遍路の短縮でなく、本来のルートです。是非使ってみてください」

 今、埋立~坂内間を1日4便の巡航船が運航しています。児童の通学用ということで日曜日は運休。穏やかな湖のような浦ノ内湾を巡航船で行くのも楽しそう。結局、この巡航船(埋立~横浪間)を使ってみました。

 結局、客は私一人でした。
 海の遍路道(赤の点線)。もっと、ポピュラーになっていいと思いました。


http://blog.livedoor.jp/tssune3/archives/52029751.html

(4)仲間たち

 同じ遍路姿を発見したら声をかけて励まし合う。しばしばあったことです。歩き遍路同士は不思議な連帯感が生まれます。苦労を互いによく知っているからです。特に、逆打ち(88番から1番を目指す。目印が逆なため大変難しい)の遍路に出会うと確実に初めての出会いなのですが、お互いの行程や注意点を話し、心から「気をつけて」と言って別れます。
 同行仲間になっても、ずーっと一緒に歩くということは滅多にしません。互いに自分の時間を持ちたいし、歩きのペースも違うからです。そして、(私のような「何となく派」は少なく)様々な重い理由で来ている方も多いので、出身地ぐらいは話しますが深入りはしません。しかし、宿で一緒になった人たちとはその後もどこかで出会うとしばらく話し込んでしまうます。
 そして、その何人かは様々な深い話ができるようになります。
 以下の写真は、そんな方たちの一部(5月30日以後のみ)。

写真1(左一番上):5月30日七子峠にて。ドイツ人の写真家。奥さんは日本人でドイツにおられる。2回ほど同行。日本語がうまく、日本の知識も豊富。
写真2(右一番上):6月4日松尾峠を下って。北海道の青年。ラオスで一年暮らす。4,5回?同行。初日で般若心経を覚えたと言う。前夜は松尾峠の太子堂で寝たという。昼でも不気味だったのに。
写真3:6月7日十夜ヶ橋のそば。東京の青年。逆打ち。今も歩いていると思う。
写真4:6月9日岩屋寺下の国道。高野山・真言宗別格本山/普賢院の直系僧侶、田邊元勝和尚。1日40㎞平均で歩かれていました。自分自身の修行として来られた。初めてお会いした頃は「足が痛い」と言われ、仲間だと思っていた(笑)が二度目にお会いした頃はもの凄いスピードに進化されていた。2回同行。
写真5:6月13日香園寺。彼女(愛媛)のお陰で、結願できました。松山市で二度目の「心折れ」が来る。そんな時、偶然入った飲み屋のマスターから「あなたの1,2日前からうちのアルバイトの女の子が歩いてるよ。急げば、追いつけるよ」。それらしい娘に出会った時、「えっ!?何で知っているんですか?」。2回同行。
写真6:6月17日雲辺寺。私以外のお二人(愛知、東京)は3~7度目の遍路。いろいろ教えていただきました。2~5回同行。愛知のTさんは一日平均40㎞は歩く。私が4日かかるところを三日で行く。それがいいかどうか分からない。
写真7:6月19日国分寺。東京の若者男女。テント持参で脚も強い。気持ちよい若者たち。「寛永通宝」の巨大な銭形のそばで幕営したという。
写真8:6月23日大窪寺。東京の青年(前掲)。一緒に結願しました。


http://blog.livedoor.jp/tssune3/archives/52029834.html

(5)超穴場宿

 遍路宿としての民宿には親切でいい宿がいっぱいありました。しかし、情報にない隠れた超穴場の宿もありました。一つ、その紹介を。

 37番岩本寺から38番金剛福寺までは長~い。90.5㎞あります。二日では厳しい。そこで、とっておきの情報を。歩き遍路の方に是非、お知らせしたいと思います。
 岩本寺から33㎞ほど行ったところに「道の駅ビオスおおがた」があります。そこに迎えに来てくれて翌朝も道の駅まで送っていただける格安の宿。「土佐ユートピアカントリークラブ」です。遍路関係の地図や資料には記載されていない超格安の宿です。
 私は、土佐佐賀手前の気持ちよい熊井隧道(高知県の立派な土木遺産。最高なムードの隧道です)を歩き、国道56号線に合流する地点にある軽食屋(うどんやかき氷があり、若く美しい女性が経営している。残念ながら店の名前を忘れてしまった)でかき氷(150円)を頂きました。そこで、どこに泊まろうかなと話していると、その店の娘さんが「ゴルフ場が遍路にために安く宿を提供をしているようですよ」という情報を頂く。その女性が電話番号を調べてくれて、電話をしてみる。なんと一泊二食で4730円でした。早速、頼む。
「道の駅まで行くので、迎えに来ていただけますか。そして、翌朝早く、再びそこまで送ってほしいのですが?」と聞くと、明るい声で「いいですよ。道の駅に着いたら電話をしてください」。
 道の駅に着き電話をすると、すぐに迎えに来てくれました。車で、山奥の方に随分走る……。部屋は綺麗で、凄く安かった。洗濯も乾燥機もただで使わせていただいた。風呂は広く温泉でした。その日の泊まり客は、二人。勿体ないなぁと思ったものです。食事は広い食堂で一人で食べました。ゴージャスな食事でした。翌朝、早く朝食を作ってもらい道の駅まで送って頂きました。大感謝!!でした。

 是非、岩本寺を参拝された遍路の皆さん。土佐ユートピアカントリークラブは素晴らしい宿です。しっかり疲れを取ってください。胸を張って、ご紹介します。

(6)休憩タイム

 一日十時間以上歩く遍路。休憩時間は至福の時です。私の場合、貴重なたばこタイムでもありました。主要道路を歩くときは大概、スーパーのマルナカで休憩しました。店の外に屋根のあるベンチがあり灰皿も置かれていることが多いからです。3,4時間おきにあるので主要道路を歩くときは、そこを目安に歩きました。
 その他は、遍路小屋や休憩所の東屋で休みました。
 後半になると、時間の目安が付き自分の写真を撮ることも増えてきました。写真15,16以外は全てセルフタイマーです。

写真1(左一番上):5月22日。室戸岬30㎞手前?の東屋。まだまだ元気な時です。
写真2(右一番上):5月23日。室戸岬にて。岩場にカメラを置いて。絶好調な頃です。
写真3:5月25日。栗山さんの遍路接待所。長~いサイクリングロードの途中。
写真4:5月29日。須崎のおもてなしステーション。
写真5:5月30日。影野あたりの遍路小屋。
写真6:6月7日。内子手前6㎞地点?結構飽きてきています。焼けています!
写真7:6月8日。鴇田峠手前5㎞地点?ともかく暑い!1日4本はペットボトルを買っています。コーラの旨さを覚えた頃です。
写真8:6月11日。星の浦海浜公園にて。
写真9:6月12日。栄福寺近くの休憩所。アスファルト道に嫌気がさしています。
写真10:6月13日。横峰寺登山口付近の休憩所。山登りの前で気分がよい時です。
写真11:6月16日。三角寺手前の遍路道の休憩所。小雨の中で。
写真12:6月16日。椿堂を過ぎた2㎞地点の休憩所。休憩時のほとんどで靴を脱ぎました。靴下を乾燥させるのです。マメができません。結局、最後まで私は綺麗な足のままでした。みんな驚いていました。軽い柔らかい靴と5本指の靴下。そして、休憩時にこまめに乾燥させること。
写真13:6月17日。雲辺寺下のベンチ。先が見えて安堵しています。
写真14:6月19日。一本松の休憩所。雨で疲れています。
写真15:6月21日。屋島寺の参拝後。雨宿り。
写真16:6月23日。遍路センターにて。ゴールが近く、達成感漂う写真。


http://blog.livedoor.jp/tssune3/archives/52030036.html

(7)羯諦(ぎゃーてい)

 お寺に着くと、般若心経等を読経し、合掌します。1200㎞を歩くのが目的でしたが、四国88ヶ所を歩くならば、当然そのしきたりに従わなければなりません。仲間の大半は般若心経等(等:開経愒、光明真言、弘法大師御宝号、回向ノ文)を全て覚えていましたが、私には不可能でした。

 般若心経。『西遊記』で有名な玄奘三蔵訳とされる小本系の漢訳。サンスクリット語(梵語)をそのまま音訳したものです。中国にはカタカナがないのでサンスクリット語の音をそのまま漢字で置き換えたようです。だから、はっきり言って全く分かりません。

 とはいえ、一つのお寺で本堂、大師堂と最低二回は読むのである程度、「音」(ふりがなが振ってある)を覚えます。色即是空など有名だし、奥深い。しかし、“羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦”は特に分かりませんでした。音はいい。羯諦(ぎゃーてい)羯諦(ぎゃーてい)波羅羯諦(はーらーぎゃーてい)波羅僧羯諦(はらそうぎゃーてい)。"ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー"

 お寺で聞いてみました。
「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に正しく往ける者よ」という部分訳になり、羯諦は「さあ、行くぞ」という感じではないでしょうか、と教えていただく。それから私は、深く考えず、「羯諦。羯諦」と言って歩きました。

(8)納経帳

 納経帳について私見を少し。

 山であれば、山頂が目的地で、そこで感動やある種の畏敬の念が生まれる。そして、新たな頂への夢が広がる。遍路の場合、札所である寺が目的地となる。寺自体の存在から感動をもらうこともあるが(もちろん、過程こそ大事なのだが)、多くの場合、納経帳が「ここに来た」という大切な印となる。納経帳には、本尊を表す梵字と本尊の名前、寺院の名前等を墨書して、札所の番号などの朱印を押して頂ける(ちなみに、その手数料である納経料は300円である)。

 長い時間をかけ辿り着いた寺の納経所で納経帳を粗末に扱われると、極めて不快な気分になる。そんな寺も少なくなかった。

 ある時、私は雨の中、4,5時間ほど歩き続けズブ濡れになってあるお寺に着いた。読経をすませ、狭苦しい納経所に行く。雨を避けながらザックカバーを取り、ザックの雨蓋から丁寧にビニールに包んだ納経帳を出す。両手で大切に渡す。……それを片手でぞんざいに受け取り、ささっと墨書し、同時に片手を事務的に出す。納経料を催促しているのだ。途轍もなく寂しい思いで、300円を渡す。お金を受け取るとすぐに携帯電話で世間話をしていた。納経所で記帳を受付ける人は寺のご住職やその家族、時にはアルバイトの人が当たるらしい。だが、そんなぞんざいな態度を受けると、目的が不明確になり心が折れる。
 目的地で、最大の虚しさを感じるのだ。仲間に言うと、「(修行が)まだまだだね」と言われる。しかし、本当にそうだろうか?そういうことだろうか?酷いときは、納経帳を投げて返す女がいた。私も怒り心頭、300円を投げつけた(今思えば、恥ずかしい)。しかし、その女は、初めて無礼に気づいたのだろう。とってつけたように「お疲れ様でした」と言い誤魔化した。山門で礼をし、次の目的地に向かう。空しい気分で歩き続ける。……辛い時間だった。

 両手で納経帳を渡す。丁寧に礼をし受け取られ、大切に墨書し両手で渡してくれるお寺もある。そして、「暑くて大変だったでしょう。これからもきついですよ。熱中症に注意してください」などと言ってくださるご住職もおられる。「雨の中、ご苦労様です。下の遍路道は大変だったでしょう。ゆっくりそこで休まれてください」と言ってくださる奥さんもおられた。感謝の思いがふくらんだ。

 人の親切を期待しているのか?と仲間は言う。違う。そういうことではない……。


※まだ、ページを増やすかもしれません。

最後に、お接待について
 四国を歩いていると、様々なお接待をうけます。私も様々なお接待を数多くうけました。
 お接待には食べ物や飲み物などをくださったり、時に、「冷たい物でも買ってください」と言ってお金を頂くこともあります。車が停まって、「お接待いたします。お乗りください」ということもあります。「歩くことを行としております。」と断りましたが、不快な顔をされたこともありました。難しいところです。
 しかし、基本的にはお接待は快く受けましょう。
お接待は「行けない私の分まで宜しくお参り下さい」という代参の意味でもあったり、お接待自体がその方の行でもあり功徳となるからです。ですから参拝の際には、お接待をして頂いた方の分までお参りするという気持ちで参拝したいものです。
四国八十八カ所の思い出
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