加計呂麻島を歩く

加計呂麻島(かけろまじま)2009.12.30〜2010.1.2
12.30
 瀬相〜呑ノ浦〜押角〜スリ浜に近い諸数  歩いた総距離約14q+α
12.31
 諸数〜諸純〜徳浜…(加計呂麻バス)…安脚場〜渡連  歩いた総距離約11q+α
1.1
 渡連…車…於斎〜花富〜西阿室〜瀬相…バス…実久  歩いた総距離約13q+α
1.2
 実久〜芝  歩いた総距離約8q+α
※加計呂麻島はアップダウンの激しい島です。

アクセスカウンター


赤線青線が歩いたところ
概要
・加計呂麻島(かけろまじま)は、奄美諸島内の島。鹿児島県大島郡瀬戸内町に属する。面積77.39km2で、大島海峡を挟んで奄美大島南岸と向かい合っている。また、地形は細長く、海岸線が複雑に入り組んでいるため、海岸線長は147.5kmと長くなっている(Wikipediaより)。
・平成20年4月現在の世帯数は935、人口は1555人。
・対岸の古仁屋まで鹿児島からフェリーが出ています。もちろん、鹿児島から名瀬までフェリーで行き、名瀬からバスという方法もあります。いずれにせよ、南島には「船」で行くべきでしょう。古仁屋から加計呂麻島には様々な船が出ています。
・詳しい情報は「KAKEROMA.COMホームページ」をご参照ください。
南島へは船で行かねばならぬ……。
 12月29日(火)17:30、古仁屋に向かって鹿児島本港北埠頭を出発。フェリーきかい。喜界、名瀬を経由し、翌日10:50頃に古仁屋着予定。約17時間の長旅だ。桜島が噴煙を上げ鹿屋方面に黒い灰を吹き落としている。
 船は静かに進む。
 客は決して多くない。若い男女が多く、お互いに「一年ぶりだね」「二年ぶりだね」と懐かしそうに言っている。
「正月、ながくいられる?」
「3日までいる、仕事あまり無いから……大学生の友だちも仕事無いっていうし……」
 みんな、久しぶりの楽しい出会いのはずなのに妙にさびしい空気が流れる。私は横で煙草を吸っていた。話しかける隙がなかった。
 琉球弧を南下する。
 ゆっくり確実に南下する。
 翌朝、つまり30日(水)6:00頃、喜界島に到着した。彼らのほとんどはここで下船した。喜界島に寄るのはこの船だけだから当然か。多くの島人が小雨の降る中、笑顔で迎えにきていた。一人、二人と、家族の人だろう軽自動車に乗って四方に散っていった。空気は断然生ぬるくなってきた。ちなみに喜界島は隆起性サンゴ礁の島。全島ほとんどがサンゴを起源とする石灰岩で出来ている。そのため、ハブは棲息していないらしい。翌年はこの島を歩くことにした。10時40分頃、古仁屋(奄美大島本島最南の町)に着いた。
12月30日(水)
瀬相(セソウ)〜呑ノ浦(ノミノウラ)〜押角(オシカク)〜スリ浜に近い諸数(ショカズ)


古仁屋から乗った定期船(定員15名)
 10時40分頃、古仁屋(奄美大島本島最南の町)に着いた。やはり小雨が降っている。予想はしていたが、マイッタな……。
 古仁屋から定期船に乗りやっと加計呂麻島に上陸。途中、イルカを見る。
 瀬相に着くと雨がやんだ。一応、上下カッパを着、呑ノ浦に向け出発。これから先、距離はたいしてないと考えていたが、集落と集落の間には必ず峠があり、その度に100〜200mの高低差がある。誰もいない、車も一時間に一台ぐらいしか通らない車道をひたすら歩く。予想より厳しかった。暑くなり上のカッパを脱ぐ。しかし、初日だ。元気に気持ちよく呑ノ浦へ。
 呑ノ浦の入口の家の方と少し話す。
「4年ぶりに神戸から里帰りしてきました。ぜひ、加計呂麻トンネルの方に向かわず、島尾文学碑の方に行ってくださいよ」
「もちろん、そのために来たんですから」と私。是非にとポンカンを四つ頂く。
 呑ノ浦。島尾敏雄ミホさんの文章にしばしば登場する「転機」の場所。「島の果て」「その夜」そして再び「廃址」……。
“そこで私は死の出撃を待っていたが、図らずも敗戦がその死をまぬがれさせてくれることになった。呑ノ浦はだから私にとっては起死回生の地”(島尾敏雄「琉球弧の視点から」から:以下同じ)“岸辺で波音が立たぬほども呑ノ浦は静寂であった。……心をやさしく包みこんでくれた”
 テント等を含む約18sのザックを背負いながら島尾文学碑を過ぎ、「その」記念公園を歩き震洋艇を観、入り江を振り返る。その美しい入り江。“深山の中の湖の如きおだやかな入り江”……静寂。入り江を見ながら私もときどき漏れる柔らかい陽射しの中でゆっくり呼吸した。「生きている」と思った。来てよかった。
 押角小学校に向かう。ミホさんが戦争中、勤めていた小学校だ。
 誰もいない車道を、いくつかの上り下りを繰り返しスリ浜に行く。16時過ぎ、その先の「ホライゾンクラブ」に到着。アスファルトだからだろうか、右膝が痛くなった。今日は天気が悪いと予想し宿泊。兵庫県からIターンしてこられたご夫婦が自らコツコツ造り上げたペンションだ。美しいペンションだった(ここならカミさんも喜ぶだろう、いつか連れてこよう。そんな場所)。
 夕食時、ふと「なんでもあり」さん(事前に島の情報を頂いた加計呂麻きっての名ガイド)に電話をした。
「今、諸数のホライゾンクラブにいます。明日、諸純に九時頃に着くと思うんだけど少しの時間お会いできませんか?」
「えっ、諸数!近いね」……
 焼酎を飲んでいると、なんとT本さんが車で来てくれた。超うれしい!初対面!
 同宿となったバードウオッチングとダイビングの好きなご夫妻?とともに楽しい時間となった。……サンゴが危ういこと、そのためにアマモを戻さないといけないこと、ルリカケス、アカショウビン。
 楽しい時間はあっという間に過ぎ、睡魔が襲ってきた。素晴らしい一日だった。
押角小学校
12月31日(木)
諸数(ショカズ)〜諸純(ショドン)〜徳浜(トクハマ)…(加計呂麻バス)…安脚場(アンキャバ)〜渡連(ドレン)
 この日は大晦日、そして、この旅のメインのルート。諸純と徳浜。どちらも「寅さん」映画の最終作「寅次郎紅の花」のロケ地となったところだ。山田洋次が寅さんの終着地に選んだカケロマ。この旅から帰り、カミさんに「今年、寅年だから加計呂麻にいったんでしょ」と言われ、「そうか」と思った。全くそんなことを考えていなかった。言われてみれば、それも「良し」だ(笑)!
 諸鈍(ショドン)は北風が当たらない美しい集落。琉球交易で港の目印にされたデイゴ並木の存在感に心癒される。5月〜6月は真っ赤に咲き鮮やかだそうだ。しばらく、デイゴ並木の下で海を眺め、「たそがれる」。朝の光が樹木の間から集落に差し込んでいる。命の凪。実に味わい深い大晦日だ。……来て良かった。集落を巡る。冬というのに色鮮やかだ。……たそがれる…。
 諸純小中学校に寄ると、校門そばで新年を迎える飾り付けをしている人がいる。
「失礼ですが、教頭先生ですか」
「いいえ、校長です。教頭先生たちは帰省させました。私だけ残っています」
「中を少し見させていただけますか」
「どうぞ」と言われ、いろいろお話をした。小中学生を合わせて二十人だそうだ。あ〜、こんな美しい学校に三年は勤めたいと心底思った。後ほど、T本さんにお聞きすると、彼は今年の三月で転任。集落の皆さんに愛され、バードウオッチングにとても詳しい方だそうだ。
 徳浜に向かって内陸部を進む。当然ながら登りだ。右膝の痛みも消え快調に登る。辺りの樹林が深くなる。最高部に入ると、ギャーギャーとルリカケスが増える。ルリカケスは奄美にだけ分布する。写真を撮ろうと思うがじっとしていないので撮れなかった。少し下ると、樹林の隙間からエメラルドグリーンの徳浜が一瞬見えた。お〜っ、いい!元気に下る。
 徳浜は本当に美しい海だ。海パンを用意してきていたが、さすが少し寒い。
 徳浜の集落は六世帯、人口11人?奧に天然塩「さんご塩」の小さな製造所があり、ご主人と少し話す。記念撮影をしサンゴ塩を二袋買った。ザックがさらに重くなった(笑)。民宿(今休業?)横の白いテーブルで煙草を吸う。白い椅子に座り、再び思いっきり「たそがれる」。至福の時間。15時に加計呂麻バスを呼ぼうと電話をする。携帯が圏外だった!あ!そうだ、T本さん言っていたな(忘れてた!)。……集落の方に電話をお借りし事なきを得た。加計呂麻バスはこの時期誰もいないと予想し、2時間前に連絡しないと徳浜に来ない(同じ道を歩きたくない)。
 三時間は黄昏れていた。
 T本さんがお客さんを三人連れ、徳浜に来た。年末年始も忙しそうだ。加計呂麻バスが来た。「私一人きりの客ですみません」「いいえ、お一人おられれば十分ですよ」と笑顔の運転手さん。「安脚場(アンキャバ)までお願いします」「160円です」……本当に申し訳ない、そんな気持ちで一杯だった。カケロマは本当にいいところだ!!

諸純(ショドン)にて

たそがれる

ガジュマルの臍?


諸純のディゴ並木


諸純小中学校にて

里帰りの方かな?


諸純〜徳浜間の自然林

徳浜が見えてきた!!


サンゴ塩を作っている方と

“たそがれ”ていた白いテーブル
安脚場(アンキャバ)〜渡連(ドレン)
 加計呂麻バスにたった一人貸し切り(?)で乗り、安脚場(アンキャバ)集落に着く。9世帯、16人の小さな集落。食材等を積んだ移動商店(車)が来ていた。何か買おうと思ったが、荷物が重くなるのでやめた。ほとんど集落の全ての人が集まっているのではないかと思うほど島人がいた。
「安脚場戦跡公園はどっちの道ですか」
「歩いていくの」「はい」
「あの道を進んでください。結構登りますよ。1.5qぐらいかな」
「ありがとうございます」
「気をつけて」と笑顔で言ってくれる。
 15時15分。少し急がないと、渡連(ドレン)に着く頃は暗くなっちゃうな……。急ぐ。細い車道が続く。登りが続く。標高で100mほど登ると安脚場戦跡公園の駐車場があった。車でここまで来られる。丁寧に整備された遊歩道(周回)のような道を左側から登る。
 すぐに金子手崎防備衛所の建物跡があった。大島海峡は水深が深く、東西両側で外海に接続している。そのため、戦時中は海峡内の加計呂麻島側にある薩川湾が連合艦隊の泊地として用いられていた。この泊地を防衛するために安脚場集落東側の高台に防潜網や管制機雷を遠隔操作する金子手崎防備衛所が建設されていた。しかし、その建物は六十年以上前のものとは思えないほど立派に立っていた。中に入る。階段を上り窓から外を見る。午後から風が吹いてきたが、今、最高時というような猛烈な風となった。窓からは大島海峡東端(対岸は奄美大島)が見えた。この南島の美しい海と……「戦争」という現実。生と死。静と強。複雑な気持ちになり、心を重くしながら重いザックを背負ったまま階段を下りる。その先の周回遊歩道を進む。風が更に強くなった。南島の冬の風は心に冷たい。
 一旦、安脚場集落に下り、渡連に向かう。当然ながら、車道は登る。ボディーブローのように体にくる。きつくなってきた。しかし、この日はカケロマ滞在の中日。初めからペンション「来々夏(ココナツ)ハウス」に宿泊予約を入れていた。2週間ほど前、電話をした。
「あのー、31日宿泊させてほしいんですが。一人です」
「…………分かりました」この日は営業する予定ではなかったようで、言葉が重かった。その後、メールが来た。
「〜6時を過ぎると暗くなっていると思います。連絡頂けましたら、お迎えに行きますのでぜひ連絡下さい。それでは気をつけていらっしゃって下さい。お待ちしています」
 安心した。ゆっくり風呂も入りたいし、やはり大晦日一人幕営は虚しい。風も極めて強いし予約しておいて良かった!そんなことを思いながら、一人、樹林に囲まれ暗い車道を歩きつづける。渡連集落入口に着く。集落は右という表示を見て、右に進む。足がクタクタ。途中、集落の人に出会う。
「ココナツハウスはこの先ですか?」「反対側ですよ」エッ!!、ココナツハウスはあの分岐を左に行くんだったのだ。戻る。……やっと、着いた。今日までほとんど必要なかったザックの中身が実に重く感じた。
 温かく迎えていただいた。今日の客は私一人。正月に団体客が食事に来るようで大変忙しそう。「ああ、そうか。だから、電話したとき躊躇されたんだな」。しかし、温かい風呂に貸し切りで?入り、心のこもった食事、海の幸を頂く。外のベランダに出る。大島海峡は荒れていた。古仁屋の灯りが妙に光っていた。

昔の面影を残す風景

ココナツハウスにて

対岸に古仁屋の明かり
1月1日(金)
 渡連(ドレン)…車…於斎(オサイ)〜花富〜西阿室〜瀬相…バス…実久(サネク) 
 2010年元旦。今日の行程はバスで渡連から生間(イケンマ)、更に乗り継ぎ佐知克(サチユキ)まで行き、そこから於斎(オサイ)経由で瀬相まで行く予定であった。しかし、午前中は正月のためバスは動かない。……そこで急遽、T本さんにSOS連絡。瀬相からガイドを頼まれているので途中まで車に乗せてくれることとなった(無理にお願いした!?感謝)。
 T本さんの車に乗り、佐知克へ。「もっと先に行きます?」「……うん」。これを繰り返し、気がつくと於斎まで来ていた。
「もういいよ、これじゃハイクにならないよ」
「ここから瀬相に行くの?西阿室に向かうと面白いよ。峠からの景色は最高ですよ」
「うーん……」
 於斎でT本さんと別れ、大きなガジュマルを観る。観ている内に元気が湧いてきた。よし、西阿室に向かおう。天気もよく気持ちいい。花富を過ぎると次第に車道の傾斜がきつくなる。やっぱりな!と少し後悔する。登る。車道横の樹林が邪魔をして何も見えない。車が来たらヒッチするか、峠まで。そんなことを考えトボトボと登る。しかし、車は一台も通らない。頑張るしかない!歩く。登る。汗をかく。標高約220m地点。ぱっと辺りが開けた。青い空が目の前に開ける。やっと峠に着いたな!デジカメで動画を撮りながら進む。切り株の椅子のようなものが幾つか置かれ、そばの一本の木にブランコが吊してある。天国のような空間。眼下に神々しい景観が飛び込んできた。緑と空の青と海の蒼。息を思い切り吸い込むと混じりけのない空気が肺を驚かせる。車で来るとこの快感は得られないだろう。最高のご褒美だ。展望のよい山の頂に立ったときと似た感じ。来てよかった。しばらく、……たそがれる……。その時、気がつく。瀬相に14:25に着かないとバスに乗れない。今日の幕営地に届かない。少し急ぎ下る。西阿室(ニシアムロ)までも遠かった。
 西阿室集落を巡るのをあきらめ瀬相を目指す。また、登りだ。クタクタになりながら峠を越え、瀬相に着いた。14時だった。加計呂麻バスが沢山停まっていた。
「実久行きのバス、予定通り出ますか?」
「はい、出ますよ」……よかった。運転手さんと話をしていると、見かけたことのある人物が近づいてきた。そうだ!NHKのにっぽん紀行「“みんなのバス”が走る島〜鹿児島 加計呂麻島〜」の中で頑張っていたガイドさんだ。
「あの番組を観て、私もブログに応援の記事を書いたんですよ
「ありがとうございます」
「その後どうですか」。そう言ったとき、フェリーカケロマが到着した。多くの帰省客と思われる人が降りた。その人たちは全員、出迎えに来ていた家の人の車に乗り込んでいった。私と運転手さん、そしてガイドさんがぽつんとその場に……残った。
「まあ、こんな感じですよ。でも、一人でもお客さんがいる限り続けますよ。明日は団体ツアーをガイドします」
 そこに地元の人が近づいて話の輪に加わる。
「このバスは貴重!ありがたく思っている。問題は車イスが乗れないことだね」
「それは分かっているんだけど、お金がね……」と笑顔でガイドさん。記念写真を撮ってもらう。
 定時に、再び私一人を乗せた加計呂麻バスは実久に向かった

於齊(オサイ)のガジュマル

天国のブランコ

伊子茂湾の海

加計呂麻バスとガイドさん
1月1日(金)
実久(サネク)でテント泊
 
1月2日(土)
実久(サネク)〜芝(シバ) 
 実久(サネク)にバスで向かった。運転手さんといろいろ話す。何と言っても、貸し切りだから。運転手さんは実久集落の方だった。
「若い人達はよく実久に来るけれど、『何もないじゃん』といって、さっと帰っていく。……さびしいね」と運転手さん。
「この美しい海だけで十分なのに……」と、二人で言う。
 まずテント設営をした。やっと重いザックの中身を全て出す。
 何でこんなに重かったんだ!!?古いテント(海のそばに良いテントは張りたくないので)、古い寝袋、ブタンガス、コンロ、食材、缶ビール2本・ウイスキー(この酒類は重かった!)、水(念のためだったが、近くに水道があった:笑)、……。
 そばにトイレもあった。シャワーもある(もちろん使わなかった:笑)。
 暑い時期なら一杯のテントサイトも、私一人の貸し切りだ。もちろん無料。
 海を眺めていた。

 まさに「なにもない島」といわれるけれど「何もかもある島」である。島人(しまんちゅ)は心あたたかく親切。どなたも笑顔で声をかけてくれる。私自身も心が透明になる。一秒一秒がゆっくりだがとても貴重に感じる。海のそばで幕営。タバコを吸いながら海を見ていると、集落のおばさんが「これ、食べて」と一人きりの私に数匹の魚を渡してくれる。
「焼いて食べたらおいしいから」その笑顔は超素敵。
「ありがとう!でも魚とか焼けないんだよね。なべとコンロしかないから。ラーメンを作るぐらいだから」
「えっ!ツマランネー。今から焼いてきてあげるワー」
 まいった!夕暮れの集落を一巡りしテントに戻ると、すぐにおばさんがやってきた。焼き魚と魚・野菜のたっぷり入った味噌汁をお盆に載せて。島に「来た」私なのに、何か、還ったという気がした。ビール、ウイスキーを飲みながら祝宴。潮騒が文字通り騒がしい。しかし、聞きなれると何かしら甘美な誘惑にかられ、いつの間にか寝てしまった。
 朝7時に起き朝食を済まし、芝に向かう。林道を進むが、ここ毎日と同じで200m程度の標高差は数え切れないほどある。そして、人に出会わず車にも出会わない。黙々と歩く。樹木の間を飛び交う鳥たちを眺め、その声に耳を澄ませる。時々、ギャー、ギャーとルリカケスの姿も見る。標高約240m地点の夕日の丘に着く。息を呑む美しさ。歩くと、この美しさが身に沁みる。神々しいエメラルドグリーンの海を眼下に見る。あたりの静寂の中で魂に永遠が浸透してくる感覚。また、だらだらと下る。長い。11時過ぎ。芝に着く。お店を空けていただき缶ビールを買う。今回の旅の最終地点だ。ビールを飲みながらガジュマルの下で集落の方と話していると、ある男性が沢山荷物を持って
「*?&#*$*・コニヤ・・?&・カエルワ」と、その人に話す。島人の言葉は天文学的に難しい。
「ひょっとして古仁屋に帰られるんですかね」と私。
「そうだよ」
「乗せてもらえます?」
「どうせ、帰るんだからいいよ。乗せてあげるよ!」と当然という笑顔。
 平穏な大島海峡を漁船が滑るように走る。予想外の喜び。あっという間に古仁屋港に着いた。

 濃密な時間をありがとう、カケロマ。

ありがたい差し入れ。ありがとう!!

焼き魚とうまいみそ汁

15秒露光

実久(サネク)の石垣(サンゴ)

夕日の丘からの大島海峡


夕日の丘からの実久集落(白い砂浜のセンターの奥にテントを張った)



雑記(「何でもあり」さんがまとめてくれた私の雑文)
2009年11月27日 限りなき現実に近い思いつき
 2009年12月1日 加計呂間島ハイク計画案@
 2009年12月8日 ハブ
 2009年12月11日 N浦の幻影 
 2009年12月26日 加計呂麻島水平ハイク
 2009年12月28日 明日出発 
 2010年1月2日 名瀬にて 
 2010年1月3日 加計呂麻島を歩く1
 2010年1月4日 加計呂麻島を歩く2
 2010年1月5日 加計呂麻島を歩く3
 2010年1月6日 加計呂麻島を歩く4
 2010年1月7日 加計呂麻島を歩く5
 2010年1月8日 加計呂麻島を歩く6
 2010年1月9日 加計呂麻島を歩く(最終回)
カケロマ島スペシャル
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